終身雇用が終わったら、社員は自分でスキルを磨かなければならないのだろうか。

Twitterで見かけた一コマ。

終身雇用が終わったのだから、雇われる側は自分でスキルを磨かなければならない。という主張を目にした。

 

この主張は、終身雇用制度において企業が教育コストをかけて社員を育てるのは、社員が定年まで会社に定着して、教育コストをかけた分を還元してくれるからだという大前提に基づいていると思う。

 

これに対して私の考えは、今までより企業は教育コストをかけるべきだというのが主張である。

なぜならまず一つ目に、終身雇用制度は崩壊したとはいえ、企業が求めるスキルを持った人材がどれほど世の中にあるだろうか。これから日本はますます貧しく、そして少子高齢化が進んでいく。その中で企業が求めるスキルを十分持った人材がどんどん現れるとは思えない。

国も旗振りが下手くそで、かつスキルがマッチする人材が減っていく以上は企業はコストをかけないわけにはいかないだろう。

二つ目に、個人の努力でスキル習得をさせるには限度があるということ。私は能力至上主義や、努力が美しいとする風潮はもうやめて良いと思っている。みんなそれなりに平凡に幸せに過ごさればそれで良いではないかという考えもある。今は二人の子供を抱えながら仕事をしているが、直接的に育児に関わると個人でのスキルアップはほぼ皆無である。仮に育児をしつつも個人でスキルアップしてきているという主張もあるかもしれないが、本当に夫婦間で納得のいくように育児を分担できているのだろうか?私には立場の弱い側に強い側が育児を押し付けて、その代わりに対価を稼ぐという言い訳で育児を避けているようにしか聞こえない。

つまるところ私の主張は、教育を個人任せにしていてはいけないということだ。企業がしなくても良いなら、国が積極的にやるとか国家レベルで考えるべきだ、次の10年どんな人材が増えていくべきなのか。企業からは税金をたんまりとるようにして、そのお金を個人の教育に当たるなどもはや企業と雇用者だけの関係ではなく、国が出てきても良いぐらいの話だと思っている。

 

見直すところはたくさんあるのではなかろうか。企業が海外赴任の前に英語研修をするのはどう考えるだろうか。私たちの時代は中学校から英語を習ってきたが、仮に大学を卒業するまでの間、10年間習ってきたとして英語が話せる人材が少ないのはなぜだろうか。

 

少し考えてみると良い。文法を習っただけで会話はできないのだ。誰かと直接話して成功体験をどんどん積む。税金を使った教育をするならどんどん実践的な教育にシフトすれば良いと思う。ただし自由に興味を持ったことを学ぶということも必要だ。

 

少なくとも、組織単位で考えて実行していかなければならないことを、個人任せにしておくというのはとても危険な考え方であると私は思う。